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球夏2025第5日

川内、延長戦に逆転サヨナラ勝ち!

【1回戦・川内―枕崎】投打に渡る活躍だった川内・堀之内=鴨池市民

 第107回全国高校野球選手権鹿児島大会第5日は7月9日、鹿児島市の平和リース、鴨池市民、両球場で1回戦4試合があった。今大会初の延長、タイブレークとなった川内―枕崎戦は10回表に枕崎が1点を先取するもその裏、川内が2点を挙げて、逆転サヨナラ勝ちだった。シード鹿屋中央、出水工、川薩清修館はコールド勝ちだった。第6日は10日、両球場で1回戦4試合がある。

◇9日の結果

・1回戦(平和リース)

出水工 21―0 市来農芸(5回コールド) 川薩清修館 8―0 奄美(7回コールド)

・1回戦(鴨池市民)

鹿屋中央 11―0 種子島中央(8回コールド) 川内 2―1 枕崎(延長10回)

◇9日の試合

・1回戦(平和リース)

9:00 鹿屋VS出水中央  11:30 鹿児島商VS出水

・1回戦(鴨池市民)

9:00 志布志VS鹿児島情報  11:30 錦江湾VS沖永良部

堀之内、熱投124球! 投打で活躍・川内

 川内は北薩地区、枕崎は南薩地区、いずれも県大会優勝経験のある県立校の雄である。実力、実績のある両校の対戦らしく、1点を争う緊迫した好ゲームとなった。

 川内の先発は背番号3の2年生左腕・堀之内悠樹=写真上=。初回こそボールが先行し、ピンチも招いたが、2回以降はテンポ良く打たせてとる投球が冴える。初回は23球を擁したが、2回以降は9回まで10―14球の球数で抑えるリズムで枕崎打線をわずか2安打に抑えた。

 一方、枕崎の先発は右腕エースの今村渉生(3年)=写真=。こちらも序盤は連打を浴びるなど苦しんだが、尻上がりに調子を上げていく。7回一死からは左腕・岩榮健太郎(3年)がリリーフし、川内打線に付け入るスキを与えない。

 9回まで両者無得点のまま今大会初のタイブレークによる延長にもつれた。10回表、枕崎は送りバントで二三塁とし、代打・東海世(3年)の犠飛で待望の先制点を挙げる。その裏、川内は送りバント失敗で一死、代打・西薗稟公(3年)は左飛で二死と瀬戸際まで追い詰められる。この後連続四球で満塁とし、打席は3番・堀之内。1ストライクから2球目を中前に弾き返す。2者生還して勝負が決した。 試合時間2時間41分。124球を投げ抜いた堀之内の投打に渡る活躍で、川内が劇的な逆転サヨナラ勝ちだった。

「野球の難しさ」を痛感・奄美

 奄美は単独チームとして3年ぶりの夏に挑んだ。昨秋、今春とも1点もとれず7回コールド負けだっただけに、まず1点、9回まで試合をすることを目指したが、今回も無得点で7回コールド負け。「野球の難しさを教わりました」と玉利彪雅主将(3年)は悔しがった。

 2年生エース福永好生=写真上=は好投したが、3、4回と守備のミスが絡んで失点した。部員13人のうち11人が1、2年生。部員の半数が高校から野球を始めた素人軍団で「未だ基礎体力をつけている段階」(酒匂千速監督)だ。中盤、5、6回は足がつる選手が続出。6回に捕手・中田亜由夢(2年)がマスクをかぶれなくなり、1年生の川村大雅が代役になったが、野球経験はあっても捕手経験がないのを突かれ、盛んに足で揺さぶられ痛打された。「福永が頑張ってくれていたのに、守りで助けてやれなかった」のが何より悔しいと玉利主将は言う。

 攻撃面では秋春には見られなかった粘りをみせた。安打数は1だが、5つの四死球を選んでいる。3回は二死満塁、4回は二死二三塁、7回は二死一三塁、「あと一本、出さえすれば…」と思えるような得点機を3度作った。ただ打つだけだった段階から「打てなくてもボールを見極め、四死球を選んで出塁する、バントで送るなど戦術を教えられようになった」(酒匂監督)成果だった。「来年は基礎体力をしっかりつけて、足がつらずに最後まで戦えるチームになって勝利を目指す」と酒匂監督は誓う。

 高校から野球を始め、主将としてチームを引っ張る難しさ、野球自体の難しさ散々を味わった玉利主将だったが「野球をやって本当に良かった」と言う。その真意を問うとしばし答えに窮したが、1年生の時に監督だった遊畑玄樹さんが「助け船」を出してくれた。

 「3年間、続けたことに意味があるんだよ」

 その通りだと思ったら、涙が止まらなかった。

「素人でもやれる」を示す!
奄美・石原元気中堅手(奄美新聞・熱球譜)

 「高校から野球を始めた素人でもやれる」。そんな意気込みを示すつもりで試合に臨んだ。

 四回、一死一二塁の場面では「緊張した」が送りバントをきっちり決めて、二三塁と好機を広げた。チームから与えられた役割を果たすことができた。七回一死無走者の場面。「最後の打席になるかもしれない」不安を押し殺し、集中して打席に立っていた。気づいたら四球を選んで塁に出ていた。相手のエラーで三塁まで進む。本塁を踏めなかったのは残念だが「打てなくてもやれる仕事がある」ことは示せた。

 春の大会の鹿児島水産戦では中堅手の守備でミスをして試合が終わった。「その悔しさがあったから練習を頑張れた」。六回、前に落ちそうな打球をダイビングして捕りにいった。捕球はできなかったが、ベンチに戻ると「練習してきたことが出せたじゃないか!」と仲間から褒められた。七回の先頭打者の打球は難なく捕球できた。

 主将の玉利と同じ田検中。野球部がなくて柔道部だった。高校に入ったら「素人でもいいから、一緒に勝利を目指そう!」という先輩の言葉に心動かされて野球部に入った。当時は部員不足で2年夏まで合同チームだった。「スコアボードに『奄美』と単独チームの名前が書いてあるのが嬉しかった」。3年間続けてきて「野球をやっていて本当に良かった」と思えた夏だった。

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