れいめい、逆転サヨナラで45年ぶり決勝へ!
神村学園は延長12回を制す

【準決勝・れいめい―鹿児島実】9回裏れいめい二死一二塁、一走・山口が生還、逆転サヨナラ勝ちを決める

【準決勝・神村学園ー樟南】2回裏樟南二死二塁、8番・犬窪の左前打で二走・篠原が本塁を狙うも好返球でタッチアウト・捕手・山本
第107回全国高校野球選手権記念鹿児島大会第17日は7月24日、鹿児島市の平和リース球場で準決勝2試合があった。れいめいは9回表に鹿児島実に逆転されたが、その裏2点を返して、劇的な逆転サヨナラ勝ちで1980年以来45年ぶりとなる夏決勝を勝ち取った。神村学園は延長12回に及んだ樟南との死闘を制し、3年連続の決勝進出を果たした。25日は休養日。最終日は26日、同球場で午前10時5分から神村―れいめいの決勝戦がある。
◇24日の結果
・準決勝(平和リース) 神村学園 6-5 樟南(延長12回) れいめい 4-3 鹿児島実
◇26日の試合
・決勝(平和リース) 10:05 神村学園VSれいめい

伊藤のために「攻める気持ち」と「つなぐ野球」・れいめい

これまで秋、春、県選抜大会での優勝や決勝進出はあっても、夏の決勝は湯田太監督が生まれた1980年以来なかったれいめいが、劇的な逆転サヨナラ勝ちで夏決勝の扉をこじ開けた。「これまで負け続けた中で得るものがたくさんあった。選手たちがよく頑張って、成長してくれた」と湯田監督は選手全員の頑張りに賛辞を惜しまなかった。
勝利を引き寄せたのは「攻める気持ち」(4番・碇山和尚・3年)と「つなぐ野球」(湯田監督)だった。8回まで完璧な投球で鹿児島実打線を抑えていたエース伊藤大晟(3年)=写真上=が9回、先頭打者の4番・前田大成(3年)に特大ソロを打たれてから、勝ちを急ぎ、集中打を浴びて逆転を許した。
9回裏の攻撃も簡単に二死。このまま、またしても同じ川島学園の兄弟校・鹿児島実の軍門に下るかと思われたが「最後までベンチの誰もがあきらめてなかった。攻める気持ちを持ち、とにかく塁に出ることだけを考えた」と4番・碇山がフルカウントから粘って四球を選ぶ。

「(碇山)カズがつないでくれた。自分が最後の打者になるわけにはいかなかった」と奄美大島・赤木名中の同級生で幼稚園からの親友・濱田勇人(3年)が左前打でつなぐ。敗北の瀬戸際まで追い込まれても、力投を続けてくれた伊藤を負け投手にするわけにはいかない気持ちで全員が一丸となった。最後は「思い切って振り抜くだけだった」6番・矢野航成(3年)が右前適時打。打球処理がもたつく間に、碇山に続いて濱田の代走だった山口駿志郎(3年)が、勝利の本塁へ頭から滑り込んだ。45年ぶりの甲子園をかけて県大会44連勝中の王者・神村学園に挑む。強敵だが「れいめいの野球をやれば必ず勝てる」と濱田。準決勝はしびれるような接戦だったが、碇山は「楽しかった」と言う。力まず楽しめるかどうかも、勝敗のポイントになりそうだ。
鹿児島実・宮下正一監督 9回、各打者には直球か、変化球か、どちらでもいいから的を絞って打つことを指示した。前田は一塁方向に走ってしまう癖が出ていたので、打撃練習のゲージの中打つイメージでしっかり打つことをアドバイス。あれぐらいの打撃はできる力を持っている。あの苦しい展開をワンチャンスで逆転したのは素晴らしい成長ぶりだった。ただその後、勝ち切るまでの力をつけられなかった。

同・前田大成 (9回の先頭打者本塁打)それまで全くタイミングが合わずに打てなかったが、あの場面は直球だけに的を絞って思い切りスイングできた。9回裏、二死をとって攻める気持ちより、守りに入っていたような気がする。頑張っていた末廣のために何もできなかった。鹿実はどこよりも苦しい想いをして練習してきたから、甲子園に行きたかった。「史上最弱」と監督さんから言われたチームだったけど、最弱なりに最後に良い試合ができたのは良かった。
「継打一心」の浸透に手応え・神村学園

「お前、持ってるなぁ。すごい巡り合わせやぞ!」
8回裏、二死満塁で打席に立つ6番・西原維吹(3年)に小田大介監督は声を掛けた。31年前の1994年夏、甲子園決勝で樟南と佐賀商が対戦。樟南の優勝を阻んだ劇的な満塁本塁打を放ったのが、西原の父・正勝さんだった。当然試合に集中していた西原は、そんなことを思い出す余裕はない。だが、監督に言われて表情が緩み、リラックスして打席に立てた。スコアは1対2で1点ビハインド。自分の仕事は父のように満塁弾を打つことでなく「ボールをしっかり見極めて、自分らしい打撃をする」ことだ。きっちりボールを見極め、押出し四球を選び=写真上=、試合を振り出しに戻すことに貢献した。

序盤から流れをつかめず、力みや硬さが攻守のミスにつながり、ずっと重苦しい展開だったが「苦しい試合になることは予想できていた。終盤勝負、タイブレークの勝負になることは想定済みで準備していた」と小田監督は言う。

タイブレークの12回裏、3番・今岡拓夢主将(3年)、4番・梶山侑孜(2年)=写真上=がボール球をしっかり見極めて、連続四球押出しで3時間4分の我慢比べに決着をつけた。「今までの今岡や梶山だったら、ボール球を振らされて三振してたかも」と小田監督。「自分が決める」と力むのではなく、チームのスローガンである心を一つにして後ろにつなぐ「継打一心」に徹した。「チームのために、3年生を甲子園に連れていくために、今自分がやれることに全力で集中した」と2年生4番・梶山は言う。苦しい試合の中でもそんな姿が垣間見えたことに、小田監督は「継打一心がようやくチームに浸透してきた」手応えを感じていた。振り返れば2年前の春、拓夢主将の兄・歩夢がいた頃のチームが準々決勝で樟南に延長12回でサヨナラ負けしたのを最後に、県大会で重ねた連勝数は、その樟南に雪辱したことで44を数えた。

樟南・山之口和也監督 投手の交代は予め想定していたことで、五反田には初回からでもいけるよう準備はさせていた。よく頑張って自分たちらしい野球をやってくれていたが、やはり野球はミスをした方が負けるということだ。