管理人 体験レポート PICKUP 育児日記

育児は「育自」―父ちゃんの育児日記・第8回

初めての女の子(2017年8月21日)

 2017年8月21日、午後3時45分、政純一郎・恵夫婦の第2子が生まれた。体重3240g、身長49.4cmの女の子。人生43年目にして初めて「女の子」の家族ができた。1月4日に2人目の妊娠が分かってから、この日まではあっという間だった気がする。純大の時も、実際生まれてくるまで親になった実感はなかなかわかなかったが、それでも検診に付き添ったり、日に日に大きくなってくるお腹を眺めながら人生の大きな転機になる雰囲気は感じていた。今回は2回目で一度経験しているということもあるが、間もなく1歳8カ月になる純大の世話に何かと追われる日々で、より意識しないと2人目がいることを実感できずにいた。

※旧「スポかごNEWS」より傑作選をお届けします。8年前、長女・こころが生まれた時のドキュメントです。

女の子が生まれる!

 女の子とはっきり分かったのは7月に入ってからだった。純大の時は早い段階で分かっていたが、今回は先生が慎重な性格なためか、はっきりとは言われるまで時間がかかった。ちなみにいつだったか、私は女の子が生まれた夢を見ており、早い段階から2人目は女の子だろうという予感はあった。はっきり分かってからは純大の時とは違う感慨深さがあった。私が3人兄弟の長男、先に結婚した2番目の弟の子供は3人とも男の子、そして純大。母親と妻をのぞけば、生まれてからこれまで「女の子の家族がいる生活」を経験したことがない。「かわいい」「口が立つ」「優しい」…「娘の父親」の体験談を、その経験がある人に折に触れて聞きながら、そうなった時を想像する日々だった。

 予定日は9月2日だったが、8月に入って妻のお腹は目に見えて大きくなり、15日の最後の検診で20日に入院して計画出産で生むことを決めた。純大も予定日より1週間早かったので、今回も8月中には生まれるだろうと思っていたがその通りになった。妻と娘は8月生まれ、私と純大は12月生まれ、そんな共通項ができたのも嬉しい。入院して翌21日に処置をすればその日に生まれる可能性が高いという。その日は大安吉日なのでちょうどいいと思った。

生誕直前、天文館にて

 入院の前日の19日、夫婦と純大の3人で出かけた最後の場所は、中央ビルの「ユナイテッドカフェ」だった。「たこ焼きが食べたい」と、妻が選んだ場所だった。店主の田仲正明さんとサッカー談議、子育て談義に花が咲いた。鹿児島ユナイテッドFCがJ3に昇格し、こんな風に日常の楽しみとして地域スポーツを活用できるようになったことが感慨深かった。その日の夜の鹿児島Uと長野の試合は見事な逆転勝利! 我が子の誕生の前祝いだと勝手に位置付けた。

170821こころちゃん誕生03

 入院当日の20日は、義母と4人、天文館でお昼を食べた。千石天神で安産祈願。親子3人で記念写真を撮ったが、妻のお腹の大きさに改めて驚く。私と純大の2人を足したよりも大きいのではないかと錯覚するほどだ。あと1人ぐらいどこかに隠れていそうな気がした。夜は所属する異業種交流会の暑気払いの懇親会だった。ゲストにミスユニバース・ジャパンの元鹿児島代表とそのマネジャーが参加していた。「女の子はちやほやされた方がいいんですよ」。マネジャーの方が言う。「自分は確かに愛されている」という自己肯定感をしっかり持って育つことの大事さを学んだ。

再び出産に立ち会う

 21日は朝から曇り空、途中からは雨も降りだし、雨模様の1日だった。鹿児島では「島津雨」といって、雨は縁起の良いものとされる。今日中には間違いなく生まれるだろうと確信した。朝から義母が妻に付き添い、私と純大は城山の実家で待機していた。昼食をとってから父と3人で病院に向かった。着いたのは午後1時ごろ。思い返せば1年8カ月前は、病室に近づいた時点で陣痛が最高潮に達しており、今まで聞いたことがない妻の絶叫に震えるような想いがした。今回はまだ本格的な陣痛が始まる前であり、落ち着いていた。雑談をしたり、純大をキッズルームで遊ばせたりしながら、その時が来るのを待った。

 「痛い、痛い」と妻が絶え間なく言い始めたのは午後3時頃だろうか。「夕方ぐらいになるかも」と看護師さんには言われていたが、意外に早く来たようである。慌ただしく出産の準備が始まり、義母、父、純大の3人は別室で待機し、私1人が傍に付き添った。だんだんと「痛い、痛い」の声量が大きくなったが、前回のような高揚は感じない。不安も一切感じなかった。しっかりと先生や看護師さんの指示通りにし、時折赤鬼のように顔を赤らめて必死で赤ちゃんを産もうとする妻が頼もしく思えた。しっかり握った左手から伝わる力強さに、母の力の偉大さを感じた。

 娘は無事に母親のお腹から出てきた。母子ともに健康、安産だった。顔が誰に似ているのかなどはよく分からなかったが、脚と手の指が細いので「間違いなく女の子だ」と印象に残った。抱き上げてみた第一声は「かる~い」。日頃14、5キロある純大を抱き慣れているので、その約4分の1しかない長女の重さはとても心地良かった。生まれるまで「痛い、痛い」だった妻の連発は「かわいい、かわいい」にいつの間にか変わっていた。

 落ち着いたところで義母、父、純大も室内に入り、娘と対面した。午後5時半過ぎには仕事を終えた母もやって来た。純大にとっては妹である。不思議そうに眺めたり、興味を持って指を触ろうとしていた。妹がいる兄の心境とはどういうものなのだろう。私は経験したことがないので想像するしかない。女の子が家にいる生活も未知の世界だ。「楽しくやっていこうね」と妻が言う。

 一通りの後処理が終わり、最後に私は病室を出た。病院を出る直前、制服姿の女子中学生3人とすれ違った。10数年後、娘がこの年代になったらどんな女性に成長しているだろうかとふと思ったのは「娘の父親」になった自覚だろうか。純大の時と同じで、車の中で長渕剛の「NEVER CHANGE」を聴いた。喜びと同時に、2人の子供の父親である責任の重さもひしひしと感じるが、悲壮感はない。頼もしい妻と、信頼できる家族と、支えてくれる多くの仲間たちに感謝し、純大や娘が「生まれてきて良かった」と感じられるような社会を作っていこうと心に決めた。

-管理人 体験レポート, PICKUP, 育児日記

error: Content is protected !!