身体を動かす「楽しさ」を伝える
塚元憲一郎さん(タートルスポーツクラブ代表)

「このままいくと、日本は寝たきり老人ばかりになってしまう」
6月にあった国民スポーツ大会の鹿児島県予選で、塚元さんが雑談の中で話していたことがずっと耳に残っていた。「子供たちに身体を動かす楽しさ、喜びを伝えたい」とタートルスポーツクラブ(TS)を1991年に設立。幼児体操の巡回指導から始まり、故郷の薩摩川内市に練習場を建てた。設立35年目を迎えた今、教室拠点は霧島店、吉野店、姶良店、都城店、谷山店と6カ所になり、7カ所目となる新栄店を鹿児島市内3カ所目の店舗として、現在オープンに向けた準備中である。会員数は2,000人を超える大所帯となった。児童発達支援事業所や高齢者のためのスポーツクラブなども手掛ける。「会員の皆様の要望を吸い上げていったらこのようなかたちになりました」。事業は拡大し、会員数も増え続けているが、根っこにある理念と、「このままでは体力、運動能力が低下し、運動もできない大人が増えて、日本社会が活力を失ってしまうのではないか?」という危機感は、設立からブレない信念として持ち続けている。

元水球選手
「幼児体操に出会わなかったら、今頃高校の教員で体育を教えていたと思います」。今でこそ、幼児体操を中心に活動をしているが、元々は水球選手だった。名門・鹿児島南高から日本体育大へ。将来の五輪選手を夢見ていたが、転機が訪れたのは大学3年の時だった。練習中に頸椎を負傷。日常生活には支障ないが、水球選手としてやっていくためには手術が必要だった。

「そこまでして水球をする必要があるのか?」。鹿児島にいた頃からお世話になっていたトレーナーの先生に言われた。仮に水球で五輪選手になったとしても、水球にプロはなく、生計を成り立たせる術があるわけではない。将来を考えたら、リスクを冒して手術をするよりも、手術をせずに転身して他にやりがいのあるものを見つける方が賢明に思えた。
大きな転機は「幼児体操」との出会いだった。元々子供好きだったこともある。何より「きょうできなかったことが来週できるようになる」ことが決定的な魅力だった。3~5歳の子供たちは、ちょっとコツを教えてあげれば、できるようになり、みるみる上達して、大喜びする。そのことがうれしくて身体を動かすことが自然と好きになる。そんな姿を見ていることが「楽しかった」。
会員数3人からのスタート
大学を卒業後、故郷の薩摩川内市に戻り、幼児体操を指導を始めた。お金もなく、今のように自前の施設に会員を集めるスタイルではない。つてを頼って幼稚園や保育園に幼児体操の巡回指導をすることからクラブの歴史が始まった。「最初は幼稚園の園庭を借りて、会員数3人からのスタート。1年経って会員数は17人でした」。

2002年には自前の体操練習場が完成した。薩摩川内市の川内高校のすぐそばにある。床にはスプリングが仕込んであり、ピットと呼ばれるスポンジを敷き詰めて、着地時の衝撃を和らげる設備もある。元々は本格的な競技体操の選手が練習で使うレベルの安全面にまで配慮した施設を作った。長女、長男、次男、期せずして3人の子供全てが器械体操の道に進んだ。幼児体操は教えられても、本格的な器械体操の経験や知識はない。体操部のある鹿屋体大に定期的に通って、子供たちが練習したり、自身が指導法を学ぶうちに、これから作る幼児体操の練習場にも、安全面にまで最大限考慮したハイレベルな施設を作りたいと考えた。
跳ぶ、跳ねる、転がる…基礎的な運動能力を身に着けたいと思ったら、早ければ、早いほど、能力は高まる。0歳児でも、親が抱き上げながら回転させてあげるだけでも三半規管の発達につながる。長年、幼児体操に取り組んでいて、子供たちには身体を動かして、できなかったことができるようになることを、本能的に「楽しい」と思う感覚が備わっていると確信する。スプリングが敷いてあれば、リズムよく弾めることが楽しく、ピットがあればケガを心配することなく、思い切り身体を動かすことができる。
「基礎的な運動能力を身に着けるのは、10歳ぐらいまでが望ましい」と考える。TSは0歳児から教室があるが、本格的な選手コースは10歳以上を目安にしている。それまではひたすら遊びの延長ようなエクササイズを中心に、自然と身体を動かす楽しさを思う存分味わい、自然と上達する喜びを味わってもらうことが理想である。本格的な器械体操の道に進む選手はもちろんのことだが、野球やサッカー、陸上など他の競技に進む場合でも、できれば幼児体操を経験することを塚元さんは推奨する。「基礎的な運動能力が身についていれば、ケガの予防につながる」。頸椎のケガで水球を断念した塚元さんにとっては、どんな競技の選手であれ、自分が味わった辛い想いを経験する選手が1人でも少なくなるようにしたいという想いも、30年以上に渡って県内で幼児体操の普及活動に取り組む原動力になっている。
亀のように一歩ずつ
最初に体操教室をスタートさせたのが、自身の出身幼稚園であるみくに幼稚園の教室や園庭を活用したものだった。幼稚園の側には「神亀山」と呼ばれる小高い丘がある。タートルスポーツクラブはその亀に由来して名付けたものだった。神亀山の頂上には新田神社があり、お参りするには約300段の石段を上っていかなければならない。「歩みは遅くても一歩一歩、一段一段、ゆっくりと登っていくように、ものごとを極めていく」姿勢をクラブの名前に込めた。

幼稚園・保育園の巡回体操教室からスタートしたクラブが自前の練習場を作り、県内6カ所の練習拠点を持つまでに成長した。男子社会人の体操クラブも持っている。所属選手は日頃、教室で体操指導をしながら生計を立て、自身の技を磨く。出身は鹿児島に留まらず、全国各地から、体操で身を立てたいと志を持った若者の受け皿にもなっている。

温暖化は年々進み、夏休みの子供たちは、外で遊ぶことも困難な状況だ。そうなれば益々、子供たちの運動離れが進み、将来の日本人の寝たきり化の心配は決して絵空事でないと思えてくる。室内で、暑さを気にすることなく、思う存分、身体を動かす楽しさを1人でも多くの子供たちに伝えていくTSの理想は、それを食い止めるための地道な歩みでもある。