れぶにゃん&レイガーの10年観戦記

イラストレーター・ぽたろさんと県バスケット協会・鮫島会長の対談第2回。ぽたろさんがレブナイズを応援するために描いたれぶにゃんがチーム公式のマスコットキャラクターへとスカウトされた顛末を紹介する。


小牧社長の愛情と情熱

政 レブナイズ1年目の苦しかったシーズン、まだれぶにゃんは公式キャラではなかったけれども、確かにコートの片隅でレブナイズのバスケットを見守っていただけでなく、広島に行って募金活動に一肌脱ぐなど、活躍していたというわけですね。ちなみに正式にマスコットキャラとなったのはいつのことだったのでしょうか?
ぽたろ 翌17-18年シーズンにチームの体制が変わり、新社長になられた小牧正英さんから声をかけられたのがきっかけでした。「れぶにゃんを正式に、マスコットキャラとしてスカウトさせていただけないか?」という申し出がありました。「れぶにゃんでよければ、ぜひ!」と快諾しました。
鮫島 小牧さんのれぶにゃんに対する愛情と熱意がすごいものがありましたが、感じられたことはありますか?(笑)
ぽたろ 小牧さんはれぶにゃんをスカウトするに当たって、いろんなことを僕に話してくださいました。その熱量が結構すごかったので、僕もノリノリで話ができました(笑)。僕に「新しいキャラを生み出してくれ」という依頼ではなく「れぶにゃんをスカウトさせて欲しい」という依頼でした。存続活動をしていた頃から、ずっと寄り添ってくれていたれぶにゃんを使いたいという熱意を持っておられました。僕の中で、れぶにゃんは普通の白い猫です。レブナイズの試合を見て、感動して、「レブナイズを応援するぞ!」という決意を秘めて、黒いマスクを被っているという設定になっています(笑)。
れぶにゃんは選手!
鮫島 まさにぽたろさん自身の願望が形になり、いつの間にか「選手契約」もしてしまいました(笑)。

ぽたろ 最初にスカウトされた時は「選手」として契約しようということになりました。あくまでも「マスコット」でなく「選手」なんですよと、小牧さんは力説していました!
政 毎年、オフシーズンに選手の契約更新、満了などが出る時期に、必ずれぶにゃんの契約更改がリリースされていたのは、そういう事情だったわけですね!(驚) ちなみに鮫島HCだったら、れぶにゃんをどんな風に起用しますか?
鮫島 大きな役割はベンチの「ムードメーカー」ですが、私がHCなら彼がどの場面で生きるかを必死で考えて、必ずどこかで輝く場面を作ると思います。時間をただシェアするだけではなく、時間にも濃淡をつけ、その試合に勝つためにどこかで仕事ができるような役割を身につけさせる。その上で何とか全選手をコートに立たせたい。これがコーチとして自分が背負う十字架です。これは今でも変わりません。非力ながらコーチを名乗るためのアイデンティティーといっていいかも知れません。かつてレノヴァに氏家豪一という選手がいました。レギュラーで出る選手ではなかったですが「ここは絶対に外せない!」というフリースローの場面は、必ず彼を使っていました。そういうプロとして使える「武器」を見つけて磨くよう、日々の練習でれぶにゃんにも求めていきます。
3次元・れぶにゃん、初お目見えの思い出

鮫島 れぶにゃんの「産みの親」がぽたろさんなら、三次元化に尽力された「育ての親」は小牧さんになるわけですね。ちなみにイラストなど二次元の世界だったれぶにゃんが、三次元化されたキャラクターとして登場した最初の場面などは覚えていますか?
ぽたろ 正式には17年シーズンからの登場ですが、最初は試合会場の立て看板でした。三次元になったれぶにゃんが最初に登場したのがどの試合だったかは、正確に覚えていませんが、会場は西原商会アリーナでした。何かのイベントの時にれぶにゃんの大きな塗り絵を準備して、来場した方々に塗っていただき、それを試合会場の入り口に掲げて、その間かられぶにゃんが登場してくるという演出でした。登場した時は皆さん、とても喜んでおられました。

ゆないくーの時は、コンペがあって大賞に選ばれ、着ぐるみになるという既定路線に乗っかったかたちでした。もちろん、それもうれしかったですが、れぶにゃんの場合は、もともと趣味で描いたもので、チーム存続の力になればと思って世に出し、それが公式キャラとしてスカウトされ、選手登録までしてもらい、三次元化が実現する。そんなことになるとは思っていなかったので、小牧さんをはじめ、皆さんの熱意がとてもうれしかったのを覚えています。会場で紹介されて、コートサイドでれぶにゃんがドリブルをつき、僕とパスしている写真があります。一緒に観戦していた妻がものすごく喜んでいて「れぶにゃんがとてもかわいいし、頑張ってきて良かったね」とねぎらいの言葉をかけてくれました。
政 レブナイズの存続はできましたが、17年以降は21年に今のWizがオーナーになるまでは、存続することが精一杯で、勝って昇格することなどはとても考えられないシーズンが続きました。
ぽたろ 負ける試合は多かったですが、レブナイズの応援をやめたいと思ったことはありませんでした。それはあの最初のシーズンに見た「熱」が忘れられなかったからでしょう。これをずっと支え続けたいという気持ちで、僕は応援していました。(続く)