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「夢念夢想」第24回・鮫島俊秀さん(鹿児島県バスケットボール協会会長)後編

すべては未来へつなげるために

レブナイズの「聖地」

 「こうあって欲しい」と思ったことを、いかに実現するか。例えば、今レブナイズの選手たちにとって「聖地」になっている「ばってんラーメン」というラーメン屋があります。あそことの縁ができたのは、かつてある選手に「仕事とはこういうものだ」というものを伝えたかったのがきっかけでした。

 店主の徳満俊裕さんは私の同級生ですが、仕事ぶりがめちゃくちゃすごい。自分の技術で人を絶対に喜ばせようとする。そこからのご縁で選手たちに美味しいラーメンをふるまってくれるようになったのです。  実は「レブナイズ」という名前も、あの店に開店前に並んでいるときに思いついたものでした。「レノヴァ」の名前は商標の関係で使えない。「薩摩」というニュアンスをどこかに入れたい。薩摩の男といえば不二才。西郷、大久保を輩出した加治屋町の出身なので、そういうこだわりは強く持っている。ローマ字にした「BUNISE」をいろいろいじり、レヴォリューションのREと組み合わせて「REBNISE」という名称を思いついたのがあの店でした。聖地になるべくしてなっているわけです(笑)。これも何とか勝ちたい、選手を育てたいと考えて行動して派生したことです。

ないない尽くしから始まったこと

 90年代後半から00年代初頭にかけては、オールジャパンや国体で結果を出すために、オンコートのバスケットを磨くために手を尽くし、プラスしてお客さんを呼び込める「興行」として成り立たせるために、バスケットサミットを開催したり、インターハイやウインターカップ予選のテレビ中継を試みるなどの取り組みを県協会が中心になってやっていました。

 日本代表にも選ばれ、今B1で活躍している永吉祐也選手は、その頃小中学生で「バスケットの地上波中継があるのは当たり前だと思っていた」と言います。テレビ中継で高校生のバスケットボールを見て、サミットでレッドシャークスの選手たちが活躍している姿を見て憧れたことでプロになる道を目指した。そんなことがベースにあって、今のレブナイズはAJのような華のある選手がいて、あの頃よりももっともっと多くの子供や大人たちに、憧れや楽しいエンターテイメントを提供できるようになってほしいと願っています。

 鹿児島の場合は実業団も、大学もなかった。だからプロを作るしかないというのがスタートです。まずは「雇っていける選手を確保する」ということで小泉内閣の雇用助成金を活用した指導者派遣があり、一般社団法人が生まれた。

 2020年の鹿児島国体の開催が決まると、成年男子の柱が必要になる。当時のB3なら日程がズレていたので、レブナイズの選手が国体選手として出場することが可能だった。

 それがコロナとレブナイズの経営が変わったことによって、できなくなってしまった。20年から23年まではその寸断があったために当初描いたようなチームが作れず、不本意な成績で終わってしまった。ギリギリまでいろんなことを尽くしたのですが、成年男子は初戦敗退だったので、あの頃の選手たちは悔いが残っているでしょう。

 「国体に勝つ」ことは最終目的ではなく、大きな目標をもって取り組むことで鹿児島のバスケットを強くしたいという目的があったわけですが、逆らえない運命によって方向転換せざるを得なかった。今また、さらにその次のステップを目指して動き出しており、まだやり残したことはあります。

 24年からは、レブナイズの下部組織として、社会人チームのレッドモンスターズ(RM)が立ち上がりました。

 元々、現レブナイズオーナーの山崎俊さんが構想を持っていたものです。学校を卒業した時点でBリーガーになる夢を叶えられず、社会人になってもその夢を持ち続けている人たちを雇用し、自社の社員として働きながらチャンスを与える。会社はアスリートの労働力を取り込み、人材育成、社会貢献に寄与する。山崎さんは鹿児島の経済全体を活性化させたいという大望を抱いている。それが回り回って自分の会社の利益になるという信念を持っている。

 我々協会としても、これからの国民スポーツ大会の成年男子チームの選手として活躍してもらいたいという願いがリンクして、あの構想が生まれました。まさしく同じ方向性を持つ者同士が重なって「渦」を作っていったということです。

 考え抜いて、考え抜いて、いろんなことを仕掛けていく。そこに山崎さんや、古田さんのような人が絡んできてくれることで、不可能に思われたことも可能になってくる。胃が痛いと思われるようなことでも実現させられるような環境がそこにあるから、何とか向かっていけているのだと思います。

「憧れ」があるからこそ

 人から見ればやらなくてもよさそうなことができているのは、やっぱり「憧れ」でしょうか。中村和雄さん、山崎純男先生、長谷川健志さん=写真上=…自分がこうなりたいと思えるような、憧れをたくさん見てきました。福岡第一の井手口さんとは、若い頃からずっと見ていて、対戦したこともありますが、人間的にもすごい人になっていく。教育者としても、バスケットコーチとしても。そのベースにあるのはバスケットで、彼のチームのバスケットは見ていて楽しい。そういった人たちに少しでも近づきたいという気持ちが原動力になっています。

 中村和雄さんにせよ、長谷川健志さんにせよ、井手口孝さんにせよ、「チーム」を持ちつつ、協会における立場など、チームを離れた役職を背負っていながら、それぞれのステージに上がるごとに成長されている。その姿に対する憧れは変わることがなかったですね。

 古田仁さんにしても整骨院やトレーナーという仕事の柱は持っていても、これから何かを成し遂げたいという夢を持っている人たちの応援をしている。本業を疎かにせずに、同時に何か渦を巻いて全体を盛り上げてきたいという発想を持っている。年齢や職業、立場に関係なく、学びたいと思える憧れが、近くにいてくれることが感謝ですね。

 これまでを振り返れば、レノヴァにせよ、レブナイズにしても、やっとかたちになりそうというときに不本意ながらチームを離れている。それが自分の運命かなと思うこともあります。今でも、例えばカレロHCが率いる今のレブナイズを、どうやって倒そうかとコーチ目線で見ることがあります(笑)。その時、自分が指揮する選手は決して力のある選手がそろっていない。そんな選手を率いてどうやって勝っていくかを考えるのがコーチ冥利に尽きることだと今でも思っています。

夢をつないでくれた恩人

 かつてレブナイズは経営難でつぶれそうになったことがありました。そんな頃でも夢をつないでくれた恩人が3人、います。今のレブナイズを作り上げた山崎さん。一番レブナイズが苦しい時代を支えてくださった弓場昭大さん、そして17年シーズンにBリーグのチェアマンをしていた大河正明=写真上=さんです。

 あの頃、大河さんはわざわざレブナイズの練習を見学されて「いろんなチームをみてきたけど、こんな良い練習をしているチームはない」とまでおっしゃってくれた。当時、キャプテンをしていた鮫島和人の目を見て、「野獣のようにギラギラした目をしていた」と言ってくれた。だからこそ「こういうチームは救わなければいけない」とリーグの代表者に言ってもらえた。このことは誇りだと思っています。街頭募金にも立って、「私はあきらめが悪い人間なんです」と話していた。私もタイムアップの笛がなるまで、あきらめが悪いのだろうと思います。

 残り時間は数秒しか残っていなくても、どういうプレーを選手たちにさせるかを計算している。負けるしかないと分かっている試合でも、鮮烈な印象を残してゲームを終わり、たとえ負けても、お客さんに「次も見に来たいね」と思わせるゲームにしたい。そこにかつての昭和のプロレスのようなドラマが欲しいわけです(笑)。

 国体後の成年男子の監督をするつもりでしたが、宮迫崇文先生からなかなか許可がおりませんでした(笑)。元レブナイズの松崎圭介君が、RMの構想を聞き、再び鹿児島に帰ってきてくれた。レブナイズのU18を見ているのは安慶大樹君。彼も元レブナイズのプロ選手で、松崎君と同年代です。鹿児島国体までの間、成年男子のアドバイザーをしてくださっていた長谷川さんに「自分も協会会長としてバックアップするので彼らを育てて上げて欲しい」とお願いしました。一連の取り組みが成年男子の強化につながり、若い選手たちが活躍する場、中高の指導者が勉強する場、子供たちが学ぶ場になってくれればという想いがある。

 かつての教員クラブは選手たちが強くなることで、結果的に教員として後進の選手たちを育てていくことにつながった。その発想を応用したものです。良いものを見つけて、未来につなげていく。RMにやってくる選手たちは、プロになりたいという夢を持っている。叶うかどうかは彼ら次第だけれど、「鹿児島に来て良かった」と思うものを提供してあげたい。そのためにオンコートの部分では「良いもの」を提供したい。何より私自身の勉強になっています(笑)。

未来へとつなぐ

 未来へとつなぐ。生きていくためには、当然厳しいことも伝えていかなければならない。それが年寄りの仕事です(笑)。かつての戦時中のように、国のために若者が先に逝くことがあってはならない。正義に対する考え方は人により、時代により、いろいろ変わっていきますが、若者を年寄りより先に死なせることは間違っている。過去から受け継いだもの、自分たちが良いと信じてやってきたことを未来へとつないでいく。これしか自分の役割はないと考えています。「あんな風にはなりたくない」という反面教師の場合でもです(笑)。

 バスケットの世界はもちろんですが、例えばサッカーの故・松澤隆司さんや、メディアの世界ではMBCでアナウンサーをされていた植田美千代さん=写真上=、バスケットを離れた世界でもその道の一流と言われる人に接することができました。とてもありがたかったことです。今のレブナイズの隆盛が、バスケットをシビアに見る文化にもつながって欲しい。そのためには「語り部」が必要です。今のBリーグチェアマンの島田慎二さんが掲げるプレミアリーグ構想がある。そこにプラスしてB1ネクスト、B2と昇降格を争うリーグがある。

 アメリカで例えればNBAというメジャーなバスケットがありつつ、NCAAというコーチの腕がより前面に出て勝ち抜けるリーグもある。広いアメリカだから実現したことなのかもしれませんが、NBAが島田さんの目指すプレミアリーグなら、コーチ冥利に尽きるNCAA的なバスケットがあって欲しいと期待するところです。そこに該当するのがB1ネクストやB2なのかなというイメージです。最終的には島田さんが考えることなので、現時点では何とも言えません。今はバレーボールの世界に転じた大河さんがショーアップの世界まで含めたSVリーグと、Vリーグを明確に分けました。これからのBリーグももしかしたら、そういう方向に進むのかもしれない。今のレブナイズはプロ球団ですから、プレミアを目指すのが当然です。そこにもう一つ、NCAA的なバスケットが作れないかというのが今漠然と考えていることです。

 具体的なところでは、安慶君がレブナイズのU18、松崎君がRMを指揮している。鹿児島国体で成年男子の監督だった宮迫先生は、もっともっと全国的に有名な指導者になってもらいたいし、学校業務においても将来は校長先生になるような人物でしょう。バスケットを通じて関わった人たちが、今まで自分たちがやってきたことを広げて、もっともっと大きな渦を作っていけるように手助けをしていきたい。加えてレブナイズやバスケットをセンターピンにして鹿児島の経済を活性化させたいという山崎さんの考え方は間違いなく素晴らしいものです。もっとこれを多くの人に知らしめていきたいです。小さなことでいえば、今のカレロHCが作ったレブナイズの素晴らしいバスケットに、自分のチームで勝ってみたいという気持ちはやはり捨てきれないですね(笑)。

 この年齢でHCをやりたいかといわれれば、あのヒリヒリした世界には正直戻りたくない(苦笑)。でも今のBリーグのバスケットを見ていて「それは違うんじゃないか?」と思えることには声を挙げる人間でありたい。それをオンコートで表現するには、そういうチームにバスケットで勝つしかない。そういうコーチ目線は心のどこかにずっと残っています。

 そう考えるとやり残していることはまだありますね。

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